佐々学先生 [雑感小文]
人体に病害を与える動物と、それによる病気を研究する学問は、かつては「医動物学」または「寄生虫学」と呼ばれた。
が、前者はマウスやモルモットなどの実験用動物と間違えられることがあり、後者だと病害昆虫やダニの類が無視されやすい。
「人体病害動物学」と呼ぶことにしようと提唱した人が、佐々学・東大医科学研究所寄生虫研究部長だった。1957年のことだ。
先生は、そののち同研究所所長、国立公害研究所所長を経て、富山医科薬科大学学長、富山国際大学学長を歴任、2006年4月、肺炎で亡くなった。90歳だった。
遺志により葬儀は行われなかった。
壮年のころの佐々先生は知的な二枚目(五木寛之さんの脚を10センチ長くしたような...)だったが、身辺にはひょうひょうとした感じが漂っていた。
ネズミの足は4本、昆虫は6本、ダニは8本。
足の多い動物は面白いよ、とおっしゃるので、2本足はダメですか? と反問したら、
「そりゃメスは2本足がいちばん面白いです」
当時、杏雲堂病院の佐々廉平院長、関東逓信病院の佐々貫之院長、同姓の著明な医人が二人おられた。
初めてお会いしたとき、
「あの両先生とはなにかご関係おありなんですか?」とたずねたら、
「ええ、まぁ、関係ないこともないです」
「どのような?」
「廉平は父で、貫之は叔父です」
思わず笑った。笑わせてもらった。
が、前者はマウスやモルモットなどの実験用動物と間違えられることがあり、後者だと病害昆虫やダニの類が無視されやすい。
「人体病害動物学」と呼ぶことにしようと提唱した人が、佐々学・東大医科学研究所寄生虫研究部長だった。1957年のことだ。
先生は、そののち同研究所所長、国立公害研究所所長を経て、富山医科薬科大学学長、富山国際大学学長を歴任、2006年4月、肺炎で亡くなった。90歳だった。
遺志により葬儀は行われなかった。
壮年のころの佐々先生は知的な二枚目(五木寛之さんの脚を10センチ長くしたような...)だったが、身辺にはひょうひょうとした感じが漂っていた。
ネズミの足は4本、昆虫は6本、ダニは8本。
足の多い動物は面白いよ、とおっしゃるので、2本足はダメですか? と反問したら、
「そりゃメスは2本足がいちばん面白いです」
当時、杏雲堂病院の佐々廉平院長、関東逓信病院の佐々貫之院長、同姓の著明な医人が二人おられた。
初めてお会いしたとき、
「あの両先生とはなにかご関係おありなんですか?」とたずねたら、
「ええ、まぁ、関係ないこともないです」
「どのような?」
「廉平は父で、貫之は叔父です」
思わず笑った。笑わせてもらった。
コメント 0