大苦交響曲 [雑感小文]
大苦交響曲
「第九」の季節が始まった。
半世紀も昔の話だが、指揮者の山本直純さんに、
「暮れになると第九がはやるのはどうしてでしょう」と聞いたら、
「日本の家は安普請が多いからじゃないですか」
「えっ?」
「正月を前にして、家の修繕をしておこうと、あっちでもこっちでも大工を呼ぶわけですよ」と、あの豪快な笑いを笑った。
当時はまだそんな冗談が通用した。
今、身辺を見回せば、みなそれ相応きれいな持ち家の住人ばかりだ(当家を除外すれば─)。
ともあれ、師走。
人並みに第九を聴きたいと思っても、補聴器を通して超高度難聴の耳に入ってくるのは、鋭い金属音が何本も絡まり合った奇妙な雑音でしかない。
1分とたたず耳の奥が痛くなる。
大苦痛交響曲だ。
第九の合唱は、
「オー・フロインデ。ニヒト・ディーゼ・テーネ(おお友よ、この調べではない)」
というバリトンのソロから始まるが、失聴者の耳にはいかなる調べであれ、すべて単なる雑音でしかない。
だが人工内耳にすれば、音楽を楽しむこともできると聞いた。
つづきは明日──
「第九」の季節が始まった。
半世紀も昔の話だが、指揮者の山本直純さんに、
「暮れになると第九がはやるのはどうしてでしょう」と聞いたら、
「日本の家は安普請が多いからじゃないですか」
「えっ?」
「正月を前にして、家の修繕をしておこうと、あっちでもこっちでも大工を呼ぶわけですよ」と、あの豪快な笑いを笑った。
当時はまだそんな冗談が通用した。
今、身辺を見回せば、みなそれ相応きれいな持ち家の住人ばかりだ(当家を除外すれば─)。
ともあれ、師走。
人並みに第九を聴きたいと思っても、補聴器を通して超高度難聴の耳に入ってくるのは、鋭い金属音が何本も絡まり合った奇妙な雑音でしかない。
1分とたたず耳の奥が痛くなる。
大苦痛交響曲だ。
第九の合唱は、
「オー・フロインデ。ニヒト・ディーゼ・テーネ(おお友よ、この調べではない)」
というバリトンのソロから始まるが、失聴者の耳にはいかなる調べであれ、すべて単なる雑音でしかない。
だが人工内耳にすれば、音楽を楽しむこともできると聞いた。
つづきは明日──
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