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人工内耳 [医学・医療・雑感小文]

人工内耳

外界から耳の穴に入った音は、鼓膜を震わせ、中耳の三つの小さな骨を伝わり、内耳の蝸牛(かぎゅう)に入る。

蝸牛の有毛細胞によって、音波は電気信号に変えられ、聴神経を経て大脳の聴覚野に届き、人は音を聴くことができる。

この音を脳で聴くための変換装置─有毛細胞が障害されると、難聴が生じる。

人工内耳は、有毛細胞に代わって音を電気信号に変え、聴神経を刺激し脳に伝える(音を大きくする補聴器とは仕組みが異なる)。

1982年にオーストラリアで開発され、現在、世界中で重度難聴者を対象とした人工内耳埋め込み手術が行われている。

日本では94年から健保の適用となり、約6000人が使っているという。

日本耳鼻咽喉科学会は、人工内耳の適応基準を「原則として、純音聴力が小児では両側とも100デシベル以上、成人では90デシベル以上の高度難聴者で、補聴器の効用効果の少ないもの」としている。


人工内耳の装用者

数年前、オーストラリア大使館(東京都港区)で開かれたイベントで人工内耳装用者の話を聴いた。

人工内耳は、内耳に埋め込んだ受信装置と、音声入力のためのマイクを内蔵した体外部装置で構成される。耳の後ろを5~6㌢切開して内部機器を設置する。切開した部分が閉じ、皮膚が元に戻れば手術創はほとんど目立たなくなる。

手術後10日くらいに人工内耳の機器で初めて音を聞く「音入れ」をし、以後1~2カ月、週1回1時間程度リハビリを行い、聞き取りの訓練、機器の使用方法をマスターする。むろん健常な耳のようなわけにはいかないが、しだいに元の「聞こえ」を取り戻せるようになる。

人工内耳友の会東京支部長の宮嶋健二さんは、1993年に人工内耳の手術を受けた。

寿司店を営み、自ら接客に当たっている。

手術前は、お客の注文を紙に書いてもらうこともあったが、今は自由に会話を交わしながら寿司を握っている。

父はドイツ人、母は日本人の美知子シュタイガーさんは、2歳のときスイスで人工内耳の手術を受け、その後、アメリカとフランスで過ごした。

10年たった現在は英、仏、独語を流ちょうに話す。

鈴木和代さんが、愛児の理央くんの難聴に気づいたのは生後1カ月半のときだった。

インターネットで人工内耳を知り、2歳半のとき手術を受けた。

「手術の決断をするのに迷いはなく、理央と私たちの言葉で話したいという願いが強かった。

手術後、理央の寝言を聞いたときは、〝ああ、夢でもしゃべっている〟と胸が熱くなりました」

そう話す母親の横には元気な小学2年生が立っていた。将来の夢は? と聞かれて、「1番はサッカー選手、2番は野球選手、3番はお医者さんです」と答えた。

人工内耳装用者へのアンケートによると、手術後第一の希望は「会話」で、第二が「音楽」だ。

洗足学園音大(神奈川県川崎市)は、01年から人工内耳で聴くことのできる音楽の研究を続けていて、人工内耳装用者のための演奏会「音楽を聴きにきませんか」を開いている。

以前に参加した難聴者の講習会では、人工内耳装用の中年男性が、失聴前と同じようにカラオケを楽しんでいると話していた。
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