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ベートーベンになった話 [雑感小文]

平成養生訓18

 ベートーベンになった話

卯の花腐し(うのはなくたし)。

梅雨前の5月の後半ごろに降る長雨をそう呼ぶと、歳時記にあります。

情調の感じられる言葉です。


病み呆けて泣けば卯の花腐しかな   石橋秀野


長い連休が明けて、はっきりしない天気がぐずぐず続いていた日々、この季語が幾度となく頭に浮かびました。

「腐ったのは花ではない。おれだ」と思ったりもしました。

5月11日の朝、目覚めて寝床に体を起こしたときのことです。

左耳がボアーンと詰まっている感じでした。ヒコーキなどで同じ症状が生じたばあいの解消法(口を閉じ、鼻をつまみ「ウッ」とやる)を試みたのですが、直りません。

このときは聴力はまだいくらか残っていました。

が、時間と共にどんどん低下、夜には完全な聾状態に陥りました。

翌日、耳鼻咽喉科の専門病院を受診。

頭部のCT、聴力検査などのあとの問診(医師が紙に記す質問に口で答える)で、「めまいは?」と聞かれました。

メニエール病を疑ったのでしょう。

「なかったです」と答えました。

「原因は何でしょう?」と質問したら、先生は、頭をひねり、紙の上に???と疑問符を3個並べました。

「がんとの関係は?」とたずねると、「それはない」と、胸の前で両手を交差し、元に戻しました。

原因不明ながら、連続12日間の「混合ガス治療」と神経賦活剤の点滴治療を即刻開始することになりました。

混合ガス治療とは、純酸素に5%の炭酸ガスを混ぜたガスを吸入し、内耳への血流を増やす治療法だそうです。

しかし、治療の1単位が終っても聴力は回復せず、今も完全な失聴状態が続いています。

病名は「急性感音難聴」、原因は不明と言われました。

普通、片耳が障害されても、もう一方の耳が健全なら、さほど不自由は感じないものです。

私自身、十数年前に右耳の「高度感音難聴」に見舞われて以来、左耳だけで暮らしてきました。

しかし、その左耳もダメになったのですから、万事休すです。

頭の中のセミしぐれのほかは、周囲は全く無音の世界。音を消したテレビの画面を見ている感じです。

対面する相手が何か言っても、さっぱりわかりません。

相手はいちいち紙に書いて示さねばならず、こちらはそれを一読、口でしゃべればいいので、全然世話なし。

いま夫婦ゲンカをやれば完勝、疑いなしです。

ところで、私はもう一つ病気を持っていて、ことしで7年目の前立腺がん患者です。

故三波春夫さんは同病の先輩、1歳年少の陛下は恐れ多いことですが後輩に当たります。で、かねがね「歌のうまい人と高貴なかたがかかるガンなのだ」と軽口をたたいてきました。

そこへこんどは聾が加わったのですから、三波春夫+ベートーベン(晩年は全聾でした)というわけです。

ま、人間、長生きしていると、いろいろな目に遭うのは仕方がありません。

一時はかなりおたおたと気弱くあわてたりもしましたが、また、この先どんな展開になるのかもわかりませんが、たぶん大丈夫。

自分なりに生きていけるだろうと思います。

だって街では盲目の人が白い杖をついて一人歩きしているではありませんか。

車椅子で電車の乗り降りをしている人もいるではありませんか。

自分はほとんど健常人だと思うのです。

耳が聴こえないぐらい何も恐れることはない。恐れなければならないのは心の声の聾者になることだ。そう思うのです。

(株)心美寿有夢のPR誌『絆』19号=2006年72月発行=より再録>
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