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IgEの背中 [雑感小文]

IgEの背中

古い話だが、石坂公成博士にお目にかかったことがある。

1961年の秋、第5回野口英世賞を受けた中村敬三・国立予防衛生研究所所長に面接取材したさい、

「いい仕事をしている若い研究者」の話も聞いていったら─と勧められ、別棟の一室を訪ねた。

そのとき、免疫の初歩的知識さえあやふやな記者相手に、机上のザラ紙に鉛筆で図式をかいて示しながら、抗原抗体反応のメカニズムをかんで含めるように教えてくれた、柔らかな響きのいい声の持ち主が、石坂・免疫血清室長だった。

翌62年、石坂博士は、米デンバー小児ぜんそく研究所に免疫部長として招かれ、66年、IgE抗体を発見、全米アレルギー学会で発表した。

さらに、IgEから始まる多彩なアレルギー症状の進展を、細胞レベルで明らかにするなどの研究業績によって、74年の文化勲章をはじめ、学士院恩賜賞、全米医学会賞、朝日賞、日本国際賞などを受けた。

そうした報道に接するたび、あのどこかまだ戦後の影が残っていた研究所の一室での、小さな出会いのひとときを思い出すことがあった。

そして97年4月のことだが、東京・新宿の厚生年金ホールで開かれた、NTTサイエンス・フォーラムの壇上に、基調講演者の石坂博士を、聴衆の一人として遠目に見る機会があった。

その講演の一部─。

IgE抗体を突き止める研究過程では、さまざまなアレルゲン(花粉やダニなどアレルギーの原因物質)のエキスを皮膚に注射し、アレルギー反応の起こり方を観察する実験を、ヒトの生体で行った。

スクリーンにその画像が映し出された。

裸の背中一面におびただしい発疹(はっしん)の群落が並んでいて、一つ一つに番号が打たれてあった。

それらを赤色の点光で指し示しながら解説を加えたあと、博士は、さりげない口調でこうつけ加えた。

「この汚い背中は、当時の私の背中です」

─満員の場内に静かな感動の波が広がった。

 追記。

 さらにずっと後年、日本国際賞を受賞されたときの石坂先生については、当ブログの「医学記者半世紀=忘れえぬ医師・患者の物語」のなかに記しました。

 その部分を再録します。

 さて、そうして、いまから11年前、2000年の4月のことですが、その年の日本国際賞の受賞者の一人に石坂先生が選ばれました。

日本国際賞といいますのは、ご存じのかたもおありでしょうが、鈴木善幸内閣の総理府長官だった中山太郎さんが、「日本にもノーベル賞なみの世界的な賞を」という提言に松下幸之助さんが賛同されて、創設されたもので、母体になる国際科学技術財団は、松下さんのほか、各界の個人や団体からの寄付金を基金にして、その利子で運営されています。

毎年、二つの分野を授賞対象として、世界各国の学者・研究者から推薦された候補者のなかから各分野一名ずつの受賞者を決めています。

この賞を受賞してからノーベル賞に選ばれた人が8人、ノーベル賞受賞後の研究業績でこの賞に選ばれた人が1人いまして、それは江崎玲於奈博士です。ちなみに、賞金は1人5000万円です。

授賞式典は、東京・赤坂の国立劇場で、天皇・皇后両陛下がご臨席になり、衆参両院議長と最高裁長官、つまり三権の長と、所管大臣の文部科学大臣、在日各国の大使、各界の著名人約千人が出席して行われます。

この年、2000年の第16回、日本国際賞の受賞者は、「都市計画」分野のイアン・L・マクハーグという、アメリカのペンシルベニア大学名誉教授と、「生体防御」分野の石坂公成博士、やはりアメリカのラホイア・アレルギー免疫研究所名誉所長でした。

ステージの上には、上手のほうに天皇・皇后両陛下のお席がしつらえてありまして、下手の方に椅子が四つ並んでいて、受賞者席になっていました。

でも、マクハーグ博士の右どなりには同伴の夫人がすわっていましたが、石坂博士のとなりには照子夫人の姿が見えない。どうされたのだろう。まだ式典は始まってなくて、両陛下もお入りになっていられないので、ちょっと遅れてこられるのかなあ、と思っていました。

石坂先生にとって、照子夫人という方は、単に配偶者というだけではなくて、共同研究者ですから、ピエール・キュリーとマリー・キュリー、キュリー夫妻のような関係なんですね。

その人が出席されないはずはないんで、どうされたんだろう? って、記者席の一隅で、気をもんでいたわけですが、そのわけは天皇陛下のお言葉でわかりました。

そのとき記者席に配布された「おことば」のコピーがありますので、おそれ多いのですが、一部を読ませていただきます。

「石坂博士のご研究は、人の血清1㍉㍑中に100万分の1㌘しか含まれていない免疫グロブリンEをその抗体を用いて見出すなど、今日多くの人々を苦しめているアレルギー疾患の解明に大きく貢献し、その成果はただちに診断や治療に応用されるようになりました。

このご研究に大きく寄与された令夫人が、ご病気のため、この席で喜びを共にされないことを誠に残念に思います。

かつて文化勲章受賞に当たって帰国されたとき、お二人にご研究のことを伺ったことが懐かしく思い起こされ、博士のお気持ちを深くお察しいたします。」

このとき、石坂博士のお顔がみるみる紅潮していくのが、記者席からの遠目でもわかりました。

あとで知ったことですが、照子夫人は、長期の療養の必要な病気になられたので、石坂先生は、アメリカでの仕事を辞職されて、照子夫人の郷里の山形へ帰られて、介護をされているということでした。─以下、略─ 
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