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耳の効用値 [医学・医療・雑感小文]

耳の効用値

 全人口に占める難聴者の割合は約5%だが、65歳以上では35%、80代では90%以上になる。

 身体障害6級以上の難聴者は40万人といわれている。

 不肖マルヤマも、その一人である。

 がん治療中の2006年5月、突発性難聴で左耳が壊れた

 右耳は、それより15年前、肝臓を3分の1ちょん切ったあと(多分、手術後のものすごい痛みのストレスと、使用した抗生物質の副作用で)、ほとんど聴こえなくなっていた。

 そこへ左耳の高度難聴が加わって、両耳の失聴=ミンツン(全聾を意味する屋久島方言。ミン=耳)が完成した。

 最初の2カ月半ばかりはもっぱら治療にかまけて失聴状態への対応(具体的には補聴器の使用)はなおざりにされた。

 この70余日はつらかった。

 なにがつらいかといって、外界の音が完全に遮断されて、対面する相手が何を言っているのか、まったくわからない。

 それも不安で不便だったが、最大の苦痛は自分の声が聴こえないことだった

 口から出た言葉がそのまま空中に消えていく。

 自分がなにかしゃべっているという実感がもてない

 病院の待合室などで、小声でささやいたつもりの言葉が、場違いな大声になるらしく、もっと低く抑えてと、家人に手まねで制されることが何度もあった。

 補聴器を入手して、自分の声がハッキリと耳に入ってきたときは、妙にうれしかった。

 気持ちがしっかり落ち着き、安定した。

 小さな幸せを手に入れたような気分だった。

 センデンめいて恐縮だが、そのあたりのことは、拙著『「がん」はいい病気』に一章を設けて詳述した。

 しかし耳がこわれたときは、目でなくてまだしもよかったと思った。

 そう言って慰めてくれる友人もいた。

 おかげで普通に町歩きができ、読み書きも自由、ラジオや電話は全然ダメだが、字幕入りのテレビを楽しみ、親しい友人とはEメールで会話をし、なんとか従前どおり暮らしている。

 むろん不自由、不便の数々を挙げ始めるときりがない。

 早い話、身過ぎ世過ぎのネタを仕入れるために記者発表やプレスセミナーに出席しても、補聴器を通して耳に入ってくる講師の言葉は、意味不明の「音」でしかない。

 あとで録音テープを起こしてもらい、それを読んで原稿をつくっている。

 さまざまな健康状態を数値化した「効用値(TT0)」の表を見ると、

 完全な健康=1と、死=0の間に

 不整脈=0.99

 初期乳がん=0.94

 狭心症(軽度)=0.88

 心筋梗塞(中等度)=0.80

 前立腺がん(軽度)=0.72

 視力0.1(米国の法的失明)=0.66

 潰瘍性大腸炎=0.58

 透析=0.57

 心筋梗塞(重度)=0.30

 脳梗塞(重度)=0.30

 失明=0.26

 ──などとある

 なぜか、失聴の数値は見当たらないのだが、前立腺がんの患者でもある筆者の実感的数値は、それよりもずっと低い0.5以下だ。

 もし神さまだか仏さまだかが、片耳の聴力を返してくれるのなら、代わりにもう一つ、がんがふえてもよいと思う。

 人のことばが聴きとれないということは、それくらいつらい。

 人と自然に話ができるよろこびは、それくらい大きい。

 ミンツンになって初めてそのことに気づいた。

 とはいえ、ときには「聴こえぬ自由」をありがたいと思うこともある。

 どんなときかは、言わない。オソろしくて言えない(笑)。
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