SSブログ

白楽天「何必烹猪羊」 [雑感小文]

何必烹猪羊(何ぞ必ずしも猪羊を烹ん)

むかし、ある雑誌の仕事で大阪赤十字病院の院長を訪ねたときのこと─。

2階にある院長室への広い階段を上がっていくと、踊り場の壁面に見事な隷書(れいしょ)の額が掲げられてあった。

中唐の詩人、白居易(白楽天)の詩を筆写した書家、花田峰堂氏の作品である。

「睡足肢体暢(ねむりたりてしたいのぶ)、晨起開中堂(あしたにおきてちゅうどうをひらく)─たっぷり眠ったので体がのびやかである。朝早く起きて家の戸を開けた」と始まる詩は、

微風の吹く春の朝、顔を洗い、髪を整え、青葉の茂る庭の木陰で、妻の手づくりのこまごまとした料理を、孫たちに囲まれて楽しく食する場面を描いて、こう続く。

「憶(おもえば)牢巹(ろうきん)を同じうせし初め 家貧にして糟糠(そうこう)を共にせしを 

今食らうこと且如此(かつかくのごとし) 何ぞ必ずしも猪羊(ちょよう)を烹(に)ん。

況(いわ)んや姻族の間を観るに、夫妻半ば存亡す 

偕老(かいろう)は不易得(えやすからず) 白頭何ぞ傷(いた)むに足らん」

思い返すと、結婚したばかりのころは貧乏だったから酒かすやぬかを食べるような生活だった。

いまはこんなうまい食事を楽しくできる。

豚や羊の肉などなくともよい。

まして親類縁者にはつれあいを失った人も多い。

夫婦そろって長生きするのはとても難しいことだ。

私の頭が白くなったことなど少しも悲しむ必要はない。

─というほどの意味だろう。

跋辞(ばつじ)に、

「斎(さい)を畢(おわ)りて素(そ)を開き 食に当りて偶吟(ぐうぎん)し妻弘農郡君に贈る」とある。

食後、絹布をのべて、食事中に想い浮かんだ詩をしたため、妻に贈ったというのである。

人生の幸せ、家庭の幸福、とはこのような情景をいうのだろう。

いたく感じ入り、難しい漢字を間違えないように手帳に写し取った。

家に戻って、わが配偶者にも読ませたいと思った。

白楽天の詩想には及ぶべくもないけれど(と、記すこと自体コッケイだが)、自ら足ることを知り、今日ただいまをよろこぶその心を、われらの思いとすることはできるだろう。

人が自分の生活に幸福を感じるのは心の持ちようにもよるだろう。

そう思ったからである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。