江戸の貧乏 [雑感小文]
減らない銭なら金三両
「いつも三月常月夜、負わず借らずに子三人、女房十八我二十」ということわざがある。
「いつも三月のような陽気で、月の晩ばかりで、借金などなく、元気な子が三人いて、女房は十八で、おれは二十であったなら、もう言うことはないなぁ」
─明るくつましい庶民的願望だろう。
昔の三月は今の四月下旬、陽気の快適さは現代よりはるかに勝っていただろう。
『故事ことわざ辞典』を開くと、同類の俗言がいくつも出ている。
「いつも月夜に米のめし」
「いつも九月に常月夜、早稲(わせ)の飯にどじょう汁、余らず過ぎず子三人」
「いつも三月常月夜、減らない銭なら金三両、女房十八われ二十」
減らない銭─には、笑った。
まったくだ。それなら三両もあれば御の字だろう。
小判などめったに拝めず、たまさかご入来にあずかっても、
「これ小判せめて一晩居てくれろ」と懇願せずにはいられぬ暮らし向きだったわけだから…。
それにしても、そんな江戸の暮らしを、ふとうらやましく感じるのは、現代の貧乏生活にいたく思い屈するものがあるからか。
「いつも三月常月夜、負わず借らずに子三人、女房十八我二十」ということわざがある。
「いつも三月のような陽気で、月の晩ばかりで、借金などなく、元気な子が三人いて、女房は十八で、おれは二十であったなら、もう言うことはないなぁ」
─明るくつましい庶民的願望だろう。
昔の三月は今の四月下旬、陽気の快適さは現代よりはるかに勝っていただろう。
『故事ことわざ辞典』を開くと、同類の俗言がいくつも出ている。
「いつも月夜に米のめし」
「いつも九月に常月夜、早稲(わせ)の飯にどじょう汁、余らず過ぎず子三人」
「いつも三月常月夜、減らない銭なら金三両、女房十八われ二十」
減らない銭─には、笑った。
まったくだ。それなら三両もあれば御の字だろう。
小判などめったに拝めず、たまさかご入来にあずかっても、
「これ小判せめて一晩居てくれろ」と懇願せずにはいられぬ暮らし向きだったわけだから…。
それにしても、そんな江戸の暮らしを、ふとうらやましく感じるのは、現代の貧乏生活にいたく思い屈するものがあるからか。
タグ:三月常月夜
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