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流感小史 [医学・医療・雑感小文]

流感小史

ふつうの風邪よりも症状が重くて、非常な勢いで流行する風邪が「インフルエンザ」と呼ばれたのは、19世紀初めごろのようだ。

トルストイの『戦争と平和』にこんな一節がある。

「アンナ・パーヴロヴナはこの数日せきがひどかった。彼女自身の言葉をかりると、インフルエンザにかかっていたのだった(インフルエンザは新しい言葉で、当時はまだほとんど使われていなかった)」(工藤精一郎訳)。当時というのは「1805年」のこと。

皇太后側近の女官で評判の才女が早速、口にしてみたい新語だったのだろう。

日本で「流行性感冒」という病名ができたのは、1890(明治23)年、「アジア風邪」が世界的に流行した時で、それ以前にインフルエンザがあったかどうかは「詳(つまびら)かならず」と富士川游は『日本疾病史』に書いている。

が、平安時代の書物に「咳病(しはぶきやみ)」の流行を記したものがあり、鎌倉時代の『増鏡』には、「かくて元徳元年にもなりぬ、今年いかなるにか、しはぶきやみ流行りて、人多く失せ給」とある。

   

 インフルエンザは、ラテン語のインフルエーレ(流れ込む)の派生語。西洋では6世紀以来、インフルエンザと思われる風邪の記録が残っているそうだ。

日本に「インフルエンザ」という言葉が伝わったのは、1890年の「アジア風邪」の時で、「流行性感冒」と訳された。

それ以前、江戸時代の多くの文書に「風疾流行」「風疫流行」「風病流行」「風邪流行、人多死」といった記載がみられる。

これらはみなインフルエンザだったと推測される。

江戸後期の1784(天明4)年にはやった風邪は「谷風」と呼ばれた。

当時、「谷風の前に谷風なく、谷風の後に谷風なし」とうたわれた無敵の横綱、谷風梶之助は、

「土俵の上でおれを倒すのはとてもに難しかろう。おれの倒れた姿を見たくば風邪をひいたときに来たらよい」と豪語したが、本当にその風邪をひいてしまい、「谷風」ははやり風邪の通り名となった。

それから11年後の寛政7年の冬、谷風はまたもやはやり風邪にかかり、45歳で世を去った。肺炎を併発したのだろう。
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