「諷詠」三代の祇園祭=片山由美子 [雑感小文]
「諷詠」三代の祇園祭=片山由美子
いよいよ夏本番。
7月は祭(まつり)の季節である。
春祭はその年の豊作や豊漁を祈願し、秋祭は収穫に感謝することから始まっているのに対し、夏祭は疫病や悪霊を退散させることが起源になっているものが多い。
それだけ、昔は夏に疫病が流行し、人々を不安にさせたであろうことが想像できる。
7月の祭といえば博多祇園山笠などもよく知られているが、一か月にわたって祭一色となる京都の祇園祭は、やはり特別ではないだろうか。
祇園祭を詠んだ俳句は多いが、まず思い浮かべるのは後藤比奈夫(1917年~)の
東山回して鉾を回しけり である。
山鉾(やまほこ)巡行の見せ場のひとつである鉾回しを、「東山回して」という大胆なアングルで描いてみせた。
後藤比奈夫は、
滝の上に水現れて落ちにけり
の名句で知られる後藤夜半(1895~1976年)を父にもち、独特の作風で知られる。
比奈夫の子息立夫も、お家芸というべき作風を受け継ぐ俳人となった。
その立夫は、夜半が創刊した俳誌「諷詠(ふうえい)」の三代目主宰を2012年に継承したが、病に倒れ、16年の6月に72歳で死去した。
祭が大好きだったという立夫の第2句集のタイトルは『祭の色』。
そして一周忌の昨年、遺句集の『祇園囃子(はやし)』が刊行された。
立夫は絵を画(か)くことが得意で、この句集は自身の鉾の装画に包まれている。
それを手に取ると感慨深いものがある。
囃子方こぼれさうにも鉾回す
鉾町の二條若狭屋てふ干菓子
集中にこんな句があり、何度も通ったであろう祇園祭の雰囲気をさりげなく伝えている。
そして句集の最後の句であり、辞世となったのが
ころはよし祇園囃子に誘はれて
朗らかだった作者が、ちょっとそのあたりまでと言って雑踏に紛れてしまったかのようだ。
立夫の俳句は、ウイットに富んだ発想と、口語調を交えた独特の文体が特徴である。
驚いたやうに風船割れにけり
風吹いて噴水の横向きになる
会ひに行くやうに茅(ち)の輪を潜(くぐ)りたる
売れ残りさうなもの売り盆の市
水着てふこんなに小さきものを着る
見立ての面白さだけではなく、当たり前と思えることを五・七・五のリズムに乗せると、言葉がにわかにいきいきと立ち上がってくることを示す俳句である。
有季定型という伝統に、いかに現代性を吹き込むかを考え続けていたと思われる。
父の比奈夫は、百一歳の今も俳句の新しさを求め続けている。
ところどころ渇筆雨の大文字
大文字からの連想で「渇筆」を思うなど、まさに比奈夫流である。
昨年刊行した句集『あんこーる』はタイトルからして絶妙。
前句集の『白寿』に最後の句集と書いてしまったので、という次第。
百歳を前に、
もて余すほどでなけれど日の永し
と詠むなど、その柔軟な発想が「諷詠」を支えてきたのである。
立夫亡き後、長女の和田華凜(かりん)が四代目主宰となった。
つなぎし手離し祭の中へ消ゆ
は父の最期を詠んだ作品。
長い歴史をもつ祇園祭が今年も滞りなく行われる中で、俳誌の伝統の継承などをふと思った。
毎日新聞2018年7月4日 東京夕刊
いよいよ夏本番。
7月は祭(まつり)の季節である。
春祭はその年の豊作や豊漁を祈願し、秋祭は収穫に感謝することから始まっているのに対し、夏祭は疫病や悪霊を退散させることが起源になっているものが多い。
それだけ、昔は夏に疫病が流行し、人々を不安にさせたであろうことが想像できる。
7月の祭といえば博多祇園山笠などもよく知られているが、一か月にわたって祭一色となる京都の祇園祭は、やはり特別ではないだろうか。
祇園祭を詠んだ俳句は多いが、まず思い浮かべるのは後藤比奈夫(1917年~)の
東山回して鉾を回しけり である。
山鉾(やまほこ)巡行の見せ場のひとつである鉾回しを、「東山回して」という大胆なアングルで描いてみせた。
後藤比奈夫は、
滝の上に水現れて落ちにけり
の名句で知られる後藤夜半(1895~1976年)を父にもち、独特の作風で知られる。
比奈夫の子息立夫も、お家芸というべき作風を受け継ぐ俳人となった。
その立夫は、夜半が創刊した俳誌「諷詠(ふうえい)」の三代目主宰を2012年に継承したが、病に倒れ、16年の6月に72歳で死去した。
祭が大好きだったという立夫の第2句集のタイトルは『祭の色』。
そして一周忌の昨年、遺句集の『祇園囃子(はやし)』が刊行された。
立夫は絵を画(か)くことが得意で、この句集は自身の鉾の装画に包まれている。
それを手に取ると感慨深いものがある。
囃子方こぼれさうにも鉾回す
鉾町の二條若狭屋てふ干菓子
集中にこんな句があり、何度も通ったであろう祇園祭の雰囲気をさりげなく伝えている。
そして句集の最後の句であり、辞世となったのが
ころはよし祇園囃子に誘はれて
朗らかだった作者が、ちょっとそのあたりまでと言って雑踏に紛れてしまったかのようだ。
立夫の俳句は、ウイットに富んだ発想と、口語調を交えた独特の文体が特徴である。
驚いたやうに風船割れにけり
風吹いて噴水の横向きになる
会ひに行くやうに茅(ち)の輪を潜(くぐ)りたる
売れ残りさうなもの売り盆の市
水着てふこんなに小さきものを着る
見立ての面白さだけではなく、当たり前と思えることを五・七・五のリズムに乗せると、言葉がにわかにいきいきと立ち上がってくることを示す俳句である。
有季定型という伝統に、いかに現代性を吹き込むかを考え続けていたと思われる。
父の比奈夫は、百一歳の今も俳句の新しさを求め続けている。
ところどころ渇筆雨の大文字
大文字からの連想で「渇筆」を思うなど、まさに比奈夫流である。
昨年刊行した句集『あんこーる』はタイトルからして絶妙。
前句集の『白寿』に最後の句集と書いてしまったので、という次第。
百歳を前に、
もて余すほどでなけれど日の永し
と詠むなど、その柔軟な発想が「諷詠」を支えてきたのである。
立夫亡き後、長女の和田華凜(かりん)が四代目主宰となった。
つなぎし手離し祭の中へ消ゆ
は父の最期を詠んだ作品。
長い歴史をもつ祇園祭が今年も滞りなく行われる中で、俳誌の伝統の継承などをふと思った。
毎日新聞2018年7月4日 東京夕刊