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老後を楽しく [雑感小文]

 貝原益軒『養生訓』巻八「養老」を読んだ。

「老後は、わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに日をくらすべからず。

 つねに時・日をおしむべし。

 心しづかに、従容(しょうよう)として余日を楽み、いかりなく、欲すくなくして、残躯をやしなふべし。老後一日も楽まずして、空しく過ごすはおしむべし」

 老後は、若い時の10倍の早さで時が過ぎていく。

 1日を10日とし、10日を100日とし、1月を1年として楽しみ、むだに日を暮らしてはいけない。

 いつも時・日を惜しむべきである。

 心を静かに落ち着いて残りの月日を楽しみ、腹をたてず欲を少なくして、残っている体の力を養うべきだ。

 老後はただの1日でも楽しまずに過ごすのは惜しい。

 年をとると、時が早く過ぎるのは、〃時の分母〃が大きくなるからだろう。

 たとえば、8歳の子の1年は8分の1だが、80歳の1年は80分の1だ。

 1年の長さが10分の1に感じられる道理だ。

 であるからには、1日を10日と思い、大切に楽しく過ごすべきだ。

「老人の保養は、常に元気ををしみて、へらすべからず。

 気息を静かにして、あらくすべからず、言語をゆるやかにして、早くせず、言(ことば)すくなくし、起居・行歩をも、しづかにすべし。

 言語あららかに、口ばやく、声高く、揚言すべからず。

 怒なく、うれひなく、過ぎ去りたる人の過ちを、とがむべからず。

 我が過ちを、しきりに悔ゆべからず。人の無礼なる横逆を、いかりうらむべからず。

 是皆、老人養生の道なり。又、老人の徳行のつつしみなり。」

 老人の保養は、いつも元気を惜しんで気をへらしてはいけない。

 ものを言うのもゆっくりして、いそいではいけない。

 口数も少なくし、起居・歩行も静かにする。

 乱暴な言葉で、早口で、声高に大きい声でものを言ってはいけない。

 怒らず憂えず、人の過ぎた過失をとがめない。

 自分の過失を何度も悔いない。

 人の無礼な無理押しを怒りうらまない。

 これはみな老人の養生の道であり、同時に老人の徳行の慎みである。(松田道雄訳)

 いや、どうも、耳が痛い! せめて今日一日だけでも、かくありたいと、思う。
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カライモの思い出 [雑感小文]

 戦後1、2年間のひどい窮乏の時代に、故郷屋久島の村・永田では「餓死らってる」というジョークが流行した。
 
 顔色のわるい少年や元気のなさそうな青年を見ると、

「お、汝(わー)如何(がし)たこっかい。餓死らって」とからかったのだ。

 当時、内地の都市でみられたような餓死者が、わが村に実際に出たわけではなかった。

 だれか、世情に敏なる男が吐いた毒舌ふうの冗談が、受けて広まったのだろう。

 そのころの夏の宵──。

 家に帰ると、丸いちゃぶ台の真ん中に小皿が載っていて、皿の中にはカライモ(サツマイモ)が2本置かれてあった。

 それがその夜、私のために残されていた夕食の全部だった。

 私はそのとき14歳の中学生で、前年の冬、母が死んでいなくなった家には、小学生の妹が3人、学齢前の弟が1人。

 田舎寺(浄土真宗本願寺派の末寺)の住職だった父は、世渡りのからきし下手な男だった。

 それにしても、カライモ2本きりというのは、当時としても最低の晩めしには違いなかった。

 最低の晩めしを当てがわれて、食い意地の突っ張った、餓死らった少年は、口をとがらせて文句の一つも言っただろうか。

 言わなかった。

 私だって、それくらいの心は、もっていた。

 ――というところで、カライモすなわちサツマイモの話。

 サツマイモは、仮にそれだけしか食べなくても、大した栄養不足は起こさない「完全食品」だと、栄養学の専門家は言っている。

 サツマイモの成分的特徴は、水分が多いこと(66.1%)と、でんぷん質に偏りすぎて(31.5%)、たんぱく質(1.2%)と脂肪(0.2%)はごく少ないことだ。

 だが、そのたんぱく質のアミノ酸組成がかなりすぐれているのが、サツマイモの特徴の一つだ。

 アミノ酸価とは、食品のたんぱく質の中に8種類の必須アミノ酸が、どれだけバランスよく揃っているかを示す指数だが、サツマイモのアミノ酸価は82。

 白米の62、押し麦53、食パン35、大豆69、豆腐62......などと比べると、そのスグレものぶりがわかる。

 ビタミンCの含量が100グラム中29ミリグラムと、けっこう多いこともサツマイモの特徴だ。

 野菜類にはビタミンCが多いが、たとえばキャベツ(100グラム中41ミリグラム)やハクサイ(同19ミリグラム)、サラダ菜(同14ミリグラム)などを100グラムも食べようとすれば相当なかさになる。

 サツマイモの100グラムはせいぜい1個だから、なんでもなく食べられる。

 ビタミンB1やカロチンの含量も多いし、食物繊維はジャガイモの2倍もある。

 サツマイモが「快便食品」といわれるゆえんだ。

 だから大腸がんの予防食としてもすぐれている。

 カルシウムも結構多く、ジャガイモの6倍以上、血圧を下げるミネラル、カリウムも豊富だ。

 さらにもう一つ、サツマイモの特徴は、カロリーが低い(米や麦の半分以下)ということだ。

 イモ腹がすぐへったのは、そのせいだったわけだが、ダイエット志向の現代ではそれはかえってうれしいメリットであるだろう。

 じつに低カロリー・高ビタミンのヘルシー食品、これがサツマイモである。
 
 そして......私におけるサツマイモは、心のなかの古い静かな絵のようなものでもある。

 遠い夏の日の夜の、裸電球の黄色い光に照らされた......。
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晩年の幸福 [雑感小文]

 昔―私などが田舎の子供だった時代―は、老人はだれからも敬愛されていた。

 いわば一年中が敬老の日だった。

 爺さん、婆さん、長生きしやれ、米も安なろ、世もよかろ。

 こんな里謡が耳の底に残っている。

 貧しい村ではあったが、日々の暮らしのなかに人の心の通い合いがあったと思う。

 今は、米は求めやすくなったが、世はあまりよくなったとは思えない。

 老人の一員として現状を観じるに、9月のある1日以外の364日は「軽老の日」ではないかと思われる。

 今は一般に年をとることは「老化」で、能力の減退とされる。

 いわゆるエイジズム(高齢者差別)もそんな考えから生まれるのだろう。

 セクハラの類語のようなシルハラというのもあるらしい。

 シルバー・ハラスメントの略だ。

 昔は、老人の知恵が、若い者の生活に役立つことが多かった。

 おじいさんは故事来歴の生き字引だったし、おばあちゃんの体験は家事や子育てに活用された。
 老人は先導者だった。

 だから尊敬された。

 昔の人のほうが晩年は幸福だったか?
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がんはいい病気 [雑感小文]

 国立病院機構九州がんセンター名誉院長で、日本尊厳死協会九州支部長でもある大田満夫先生の『私は、がんで死にたい』(社会思想社)という本を読んだ。

 人はみな、いつかは必ず死ぬ。

 これほど確かな事実はない。

 同じ死ぬなら、最期を自分の意思通りに生きて死にたい。

 それには、がんは決して悪くない。

 むしろがんで死ぬほうがいい――と大田先生は言っていられる。

 昔は、「がん=死」であり、しかも苦しんで死ぬ病気だった。

 いまはそうではない。

 早期がんは治るし、前立腺がんの5年生存率は92%、乳がんや子宮がんも80%を超え、胃や腸のがんでも50%以上だ。

 大半の人が少なくとも5年間の生命を保証されているわけだ。

 進行度を正確に測り、余命を推定できる。

 自分に残された時間を計画的に過ごせる。

 苦痛はモルヒネなどの内服でほぼ100%抑えられる。

 中毒症状や意識障害もない。

「この疼痛対策はWHO(世界保健機関)の協力で急速に浸透しています。

 これをしないのは医者の怠慢です」

 大田先生は、そう言い切っておられる。

 80歳以上の半数はがんの芽をもっている。

 がんを「天寿」と考えてうまく付き合っていこう。

 拙者ことマルヤマも現役のがん患者。

 がんが発覚したのが、1999年秋だから、足かけ2世紀!にわたって、がんと楽しくつき合っている。

 その一部始終は拙著『「がん」はいい病気』(マキノ出版刊)に書いた。
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うれしい豆 [雑感小文]

 あたたかく炒(い)られて嬉(うれ)し年の豆  高浜虚子

 立春前日の節分は「年越し」といい、その夜にまく豆を「年の豆」と呼ぶ。

 豆すなわちダイズは、栄養的にもうれしい一品で、豆腐や納豆などダイズ食品をよく食べている人には、脳卒中や心臓病などの循環器病が少なく、長寿者が多いといわれる。

「その理由はイソフラボンとダイズたんぱくでしょう」

 と、家森幸男・京都大学名誉教授。

 健康長寿と食(栄養)の研究の第一人者だ。

「イソフラボンは女性ホルモンの類似作用をします。

 女性ホルモンは、動脈硬化の進行を抑え、骨粗しょう症にも有効に働きます。

 だから女性の場合、脳卒中も心臓病も骨粗しょう症も、女性ホルモンが少なくなる更年期以降にふえるのです。

 ダイズたんぱくは血管の弾力性を保ち、しなやかにしてくれます。

 いま、平均的な日本人は、イソフラボンを1日25㍉㌘摂取していますが、50㍉㌘になると理想的です。

 それをすべて豆腐で取るとしたら1日100㌘(3分の1丁)食べればよいのです」

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ネズミおばさん [雑感小文]

 多田富雄著『免疫の意味論』からの受け売りだが、現代の医学生物学の研究に必要不可欠な実験用純系マウスの大半の祖先は、もとをたどれば米国マサチューセッツ州南東部の小さな町、グランピーの「ミス・ラスロップのネズミ小屋」に行き着く。

 ミス・ラスロップは、この町の小学校の教師だったが、悪性貧血を患い三十代で退職、生計を立てるためハツカネズミ(マウス)の飼育を始めた。

 初めはペットや教材用に販売していたが、そのうち実験動物として使いたいという医学者からの注文がくるようになり、このほうの需要がずっと多くなった。

 丹念に交配を繰り返し、きちんと記録を残していた、ミス・ラスロップのマウスは、実験動物の適性を満たしていたからだ。

 1918年、彼女が50歳で死去したあと、残された1万1千匹のマウスは、メーン州にあるジャクソン研究所が引き取り、やがて全世界に実験用マウスとして供給されるようになった。

「グランピーのネズミおばさん」が果たした現代医学への貢献は計り知れぬほど大きい。
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雪を悲しむ [雑感小文]

 きょう5日は二十四節気の一つの小寒─寒の入り。

 20日の大寒を経て立春までの約1カ月が、寒だ。

「小寒の氷、大寒に解く」とは、大寒のほうが小寒よりも暖かい、物事が必ずしも順序どおりにはいかないことのたとえとか。

 1日の最低気温が零度以下になった日を「冬日」というが、東京ではひと冬に10日ほどしかない。

 北海道など北国のそれは約半年。

 1日の最高気温が零度以下の「真冬日」は、東京では明治以来たったの4回だが(最新は昭和42年2月)、北海道の各地では毎年、40日を超える。

 雪を花にたとえ、その美しさをめで、絵に写し、詩にうたうのは、雪の浅い国の人の楽しみ、

「我が越後のごとく年ごとに幾丈の雪を視ば何の楽しき事かあらん。

 雪のために力を尽くし財を費やし千辛万苦すること…」

 と江戸後期の文人、鈴木牧之は「北越雪譜」で歎いている。

「今年もまたこの雪の中にあることかと雪を悲しむは辺郷の寒国に生まれたる不幸というべし」。

 暖地に暮らす身をありがたいと思うべきだろう。

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風詩感唱 [雑感小文]

手書きの冊子 


「誰の山でもいい 皆(みんな) 俺(おれ)の若葉だ」─川柳誌『風詩むさしの』4月号の表紙に毛筆で記された句だ。

一読、思わず腹の底から笑った。全くだ!

誰の山だろうが、眺める分には、思う分には、誰に何の気がねがいるものか。

見渡す限り我が心の領土である。

思うさまたっぷりと眺めて楽しもうぜ。

気持ちはればれページをめくると─、

ゆるやかにワルツのごとく老いてゆく 浩三

歳のこと気にもならない歳となる 魚扇

あかね雲安易に老いを語るまい 須磨子

夢ひとつ老い先信じ米を研ぐ 房枝

合鍵を忘れ記憶の戸が開かず 掬流

言い勝って後悔という負けを知る 豊子

─人生の達人たちの佳句が並ぶ。

『風詩むさしの』は、主宰者・堀内浩三氏の手書きの原稿をそのまま複写し製本した、表紙本文合わせて20ページ。

週刊誌と同じサイズのB5判3段割り。

「20ページを書き上げるとボールペン1本のインクがなくなる」という。

その毎月の営為、小生が知るようになってからでも20年を超える。

頭が下がる。
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耳の祥月命日 [雑感小文]

聴覚障害者ならではの利便もあるのだが

2006年5月、突発性難聴で左耳がこわれた。

右耳はもともと高度難聴だったから全聾が完成した。

あす11日が11回目の「耳の祥月命日」である。

不便、不自由、不安、抑うつ、不用心…などなどに日々直面し、焦ったり、くさったり、笑ったり、総じて言えばいろいろと面白い11年だった。

読んだり書いたり考えたりするのには耳は要らないから、すこしも困らない。

電話のベルや救急車のサイレンで安眠を妨げられることもない。

内緒話や耳打ちなんてものの相手にならずにすむのは、聴覚障害者ならではの利便だろう。

とはいえ、自由な会話ができないのは実につらい。

人の話はうまく聞き取れないのに、自分の言いたいことは言える。

なんとエゴイスティックな障害だろう。

最初はそう思ったが、そうではなかった。

会話というのは、相手の言葉を聞いて、理解して、はじめて成立する。

それができないのだから、自分の言葉もないにひとしい。

しぜん人と会うのがおっくうになり、出不精になった。

10年もたって、この課題をなかなか克服できない。

そのうち、あっちのほうへ引っ越したら、また聴こえるようになるだろうか。

先に行ってしまったなつかしい人びとと再会したとき、楽しい会話ができるだろうか。

いまも夢で会ったときはちゃんと聞いたり、話したりできてるだから、たぶん大丈夫だろう。

もうすこしの辛抱だ。

がんばるべえ。

タグ:突発性難聴
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無理と過労 [雑感小文]

仕事には無理がつきもの

自分でもあきれるくらい仕事がのろい。

おまけに怠けぐせもついている。

したがって年中、シメキリという魔物に追われることになり、いよいよ切羽詰まると、おちおち昼寝などしていられない(実は今もそうだ)。

狭苦しい仕事部屋で、もたもたパソコン労働をやっていると半徹夜になり、家の者から「あまり無理しないで…」と言われたりする。

しかし、考えてみるに、人間、生きているということは、無理をするということではないのか。

全く何の無理もしないで生きていくなんて、よほどの「鈍感力」の達人でなければできぬ相談だろう。

仕事には無理がつきものだと思う。

とはいえ、むろんそれにも限度はある。

無理に無理を重ねることを続けていると、その先には「過労死」などという致命的結末が待っている。

「過労死は自己管理の問題」と言った人がいるそうだが、極言すればそのとおりだ。

そのとおりだが、自己管理もへったくれもない状況の中で働いている、働かざるを得ない人があるのも事実だ。

いまの世の中どこかおかしい。
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