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長寿の極意は「久しい火」 [それ、ウソです]

 それ、ウソです(83)

 長寿の極意は「久しい火」

 結核に感染させたウサギに灸をすえる実験によって、抵抗力が増すことを突き止めた論文で「お灸博士」として注目を集めました。
 1929年に開業。病院の診療科目に「灸科」を創設し、その後もお灸の効能を活用した医療の普及に力を注ぎました。
 自身のヘルスケアの極意は、足の裏に灸をすえることだったそうです。(日野原重明「108歳まで生きた先輩医師に学ぶ」=朝日新聞2014年8月2日)

 「近ごろ、『日本一長生きした男─医師 原志免太郎』(千年書房、1996年刊)という本を読み、大変な興奮を覚えました。  原志免太郎(はらしめたろう=1882~1991)は108歳まで生き、亡くなる約2カ月前に、男性の長寿日本一になりました。」と書き出された一文は、

 独学で医師の検定資格をとり、京都府立医専(現在の京都府立医科大)に入学、九州帝国大医学部で灸の研究に取り組み、104歳まで聴診器を持ち、26万余のカルテを残した先人の足跡を辿り、

「志免太郎医師の晩年のアクティブな生き方には学ぶところが多く、故人とはいえ、私は彼を『同志』のように感じてファイトがわいてきました。」と結ばれる。

 いつもながらの滋味豊かなエッセーを心にしみるように読んだが、3週間後の、同じ連載コラム「102歳 私の証 あるがまゝ行く」の文末の一節─。

 「さて2日付のこの欄で、私は原志免太郎医師の健康維持の極意を『足の裏』の灸と記しましたが、正しくは『足三里』の灸でした。勘違いで、読者の方に教えて頂きました。」

 仰ぎ見る高名な老師の、なんと謙虚なことばだろう。感動しました。

「足の三里」は、人体をめぐる12の経絡(けいらく)に点在する300を超える経穴(けいけつ=ツボ)のなかで最もよく知られる一つである。

 腕にも三里と呼ばれるツボ(手の三里)があるが、単に「三里」といえば足の三里のこと。ひざの少し下、向こうずねの外側を、指の位置をずらしながら押してみて、ちょっと強く痛みを感じる一点、そこが三里のツボである。

 古人もその効能をさまざま称揚している。たとえば─、

 「四十以後の人、身に灸を加えて三里を焼かざれば、上気(じょうき=のぼせ)の事あり。必ず灸すべし」=吉田兼好『徒然草』

 「三里を、毎日一壮づつ灸する人あり。これまた時気(高血圧)をふせぎ、風(中風)を退け、上気を下し、衂(はなぢ)をとめ、眼を明にし、胃気をひらき、食をすすむ、尤も益ありと云」=貝原益軒『養生訓』

 「独(ひとり)は象牙の掛羅(くわら=印籠、巾着)よりもぐさを取出し、三里にすえて皃(かお)をしかむる」=井原西鶴『好色一代男』

 「道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もも引きの破をつづり笠の緒付けかえて、三里に灸すうるより、松島の月まず心にかかりて」=松尾芭蕉『奥の細道』

 「相伴に信濃も三里据へて立」=『誹風柳多留』

 ─といったあんばい。

 三里の灸については、忘れえぬ面接取材の思い出がある。

 三昔も前の1982年1月、京都・清水寺に大西良慶貫主を訪ねて、健康法話をうかがったのである。

 この年、茶寿(数え108歳)の新春を迎えた和上は、7、8歳のころ「全身が痛うて、痛うて、体が動けんようになった」とき、灸治療を受けて快癒した。

 以来、三里の灸を毎日、欠かさぬ習慣として100年になる。

 「灸という字は“久しい火”と書くように1度や2度やったから効くというのではない。長くつづけないかん。おかげさまで病気をしません」とお話しくださった。

 30年前のその記事の全文は、別のブログ「なんやらかんやら日録」に再掲しました。「茶寿和上の健康法話」=2014年9月10日。

 三里のツボの正しい探し方もわかります。ご一見ください。
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