おい悪魔! [「ヘルシーエッセイ」再録]
「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いたもので、その旧稿の再利用である。
同サイトの「特集」という項目を開いて、さらにそのなかの「コラム」という項目を開いていただくと、出てきます。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。
ヘルシーエッセイ(4)
おい悪魔!
これからは恋よ仕事よ水ぬるむ
いつごろ何で読んだか忘れたが、いまこんな句を思い出した。
だれの作であるかは知らない。
「ゲーテはあらゆることを言っている」というが、これはまさかゲーテではあるまい。
水ぬるむ春4月は、世の中にどっと新人がふえるときである。
だが、いまどきの新入社員で、ラブ・アフェアの一つや二つを引きずってない者は珍しいだろうし、異動で飛ばされたり、舞い戻ったりした社員は「恋」どころではないだろう。
ま、それはともかく、このさい「仕事」というものについて、ちょっと考えてみよう。
アメリカの精神医学者W・E・オーツの『仕事中毒を治す法』(川勝久訳)のなかに、新しい空軍士官の飛行訓練の話がでていて、訓練中に失敗する士官には、あまりにも一生懸命になりすぎるタイプが多い、という。
飛行機の操縦には、気流との調和が必要である。
しかし気負いすぎの士官は、気流のことを無視して自分だけで飛ぼうとし、自分が最悪の敵になってしまう―というのである。
このテの仕事人間は、われわれのまわりにもけっこう多い。
頭も悪くないし、仕事もよくできるのだが、気持ちにゆとりがない。
偏狭な完全主義者とでもいうのか、自分にもきびしいが他人のミスを大目に見ることもできない。
相手が部下であれば冷たく容赦なく叱責する。
部下は顔で服従して、心では、
「なんてケツの穴のちッちェえ男だ、
そのうちきっと痔になるぞ!」などと思っている(にちがいない)。
こうしたパラノ型仕事人間に対する“トランキライザー”として、オーツ博士は次のような助言を与えている。
① あえてなりゆきにまかせよ。
② 他の人たちにいくつかのことをさせよ。
③ あまりにも一生懸命にやりすぎるな(頭を冷やせ)。
④ 姿を消せ(休暇をとり、旅にでて何もしない時間を過ごせ。)
⑤ 身体がダメになる前に身体がだす信号に注意せよ。
身体がだす警告信号にはさまざまなものがある。
痛みは、その最も基本的な形であって、われわれはそれによって生体の異常をいち早く知ることできる。
もし、痛みというものがなかったらどのようなことになるか。
生まれながらに痛みの感覚が欠けた「先天性無痛症」という異常体質があるが、このような人は、たとえ骨が折れてもまるで平気だし、自分の体の肉が焼けこげる臭いでようやくヤケドに気づくといったあんばいである。
だから、体中、傷痕やあざだらけである。
内臓に起こったさまざまな病変―たとえば、胃炎、虫垂炎、胆石、子宮外妊娠などなど―を知ることもできない。
警告信号としての痛みは、生体にとって不可欠なものである。
組織における従業員の不平不満もときに同じような警告信号の役目をするのではあるまいか。
これを頭から無視する(あるいは抑圧する)経営者は先天性無痛症みたいなものだろう。
ただ、生体の痛みにも無用で有害な痛み(警告の役目はとっくに終わっているのに、いつまでもしつこく続く痛み)があるように、組織の“痛覚”にも有害無用なものがある。
むろん、こんなこと、だれでも知っていることではあるが。
これも何かで読んだのだが、ある会社の社長が、新入社員にたいする訓示で、「おい悪魔」という呪文を教えた。
おこるな、いばるな、あせるな、くさるな、まけるな(自分に)の頭文字を並べたものである。
新入社員どころか、いいトシして相も変わらず、怒りっぽくて、いばりたがって、あせって、くさって、自分の怠け心に負けてばかりいるこちとらは、いまだに「おい悪魔」と自らを呼びつづけねばならない。
おい悪魔―なかなか守るにむつかしい教訓ではあるが、せいぜい努力してみよう。
『不可能を欲する人間を私は愛する』、これはゲーテのことばである。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いたもので、その旧稿の再利用である。
同サイトの「特集」という項目を開いて、さらにそのなかの「コラム」という項目を開いていただくと、出てきます。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。
ヘルシーエッセイ(4)
おい悪魔!
これからは恋よ仕事よ水ぬるむ
いつごろ何で読んだか忘れたが、いまこんな句を思い出した。
だれの作であるかは知らない。
「ゲーテはあらゆることを言っている」というが、これはまさかゲーテではあるまい。
水ぬるむ春4月は、世の中にどっと新人がふえるときである。
だが、いまどきの新入社員で、ラブ・アフェアの一つや二つを引きずってない者は珍しいだろうし、異動で飛ばされたり、舞い戻ったりした社員は「恋」どころではないだろう。
ま、それはともかく、このさい「仕事」というものについて、ちょっと考えてみよう。
アメリカの精神医学者W・E・オーツの『仕事中毒を治す法』(川勝久訳)のなかに、新しい空軍士官の飛行訓練の話がでていて、訓練中に失敗する士官には、あまりにも一生懸命になりすぎるタイプが多い、という。
飛行機の操縦には、気流との調和が必要である。
しかし気負いすぎの士官は、気流のことを無視して自分だけで飛ぼうとし、自分が最悪の敵になってしまう―というのである。
このテの仕事人間は、われわれのまわりにもけっこう多い。
頭も悪くないし、仕事もよくできるのだが、気持ちにゆとりがない。
偏狭な完全主義者とでもいうのか、自分にもきびしいが他人のミスを大目に見ることもできない。
相手が部下であれば冷たく容赦なく叱責する。
部下は顔で服従して、心では、
「なんてケツの穴のちッちェえ男だ、
そのうちきっと痔になるぞ!」などと思っている(にちがいない)。
こうしたパラノ型仕事人間に対する“トランキライザー”として、オーツ博士は次のような助言を与えている。
① あえてなりゆきにまかせよ。
② 他の人たちにいくつかのことをさせよ。
③ あまりにも一生懸命にやりすぎるな(頭を冷やせ)。
④ 姿を消せ(休暇をとり、旅にでて何もしない時間を過ごせ。)
⑤ 身体がダメになる前に身体がだす信号に注意せよ。
身体がだす警告信号にはさまざまなものがある。
痛みは、その最も基本的な形であって、われわれはそれによって生体の異常をいち早く知ることできる。
もし、痛みというものがなかったらどのようなことになるか。
生まれながらに痛みの感覚が欠けた「先天性無痛症」という異常体質があるが、このような人は、たとえ骨が折れてもまるで平気だし、自分の体の肉が焼けこげる臭いでようやくヤケドに気づくといったあんばいである。
だから、体中、傷痕やあざだらけである。
内臓に起こったさまざまな病変―たとえば、胃炎、虫垂炎、胆石、子宮外妊娠などなど―を知ることもできない。
警告信号としての痛みは、生体にとって不可欠なものである。
組織における従業員の不平不満もときに同じような警告信号の役目をするのではあるまいか。
これを頭から無視する(あるいは抑圧する)経営者は先天性無痛症みたいなものだろう。
ただ、生体の痛みにも無用で有害な痛み(警告の役目はとっくに終わっているのに、いつまでもしつこく続く痛み)があるように、組織の“痛覚”にも有害無用なものがある。
むろん、こんなこと、だれでも知っていることではあるが。
これも何かで読んだのだが、ある会社の社長が、新入社員にたいする訓示で、「おい悪魔」という呪文を教えた。
おこるな、いばるな、あせるな、くさるな、まけるな(自分に)の頭文字を並べたものである。
新入社員どころか、いいトシして相も変わらず、怒りっぽくて、いばりたがって、あせって、くさって、自分の怠け心に負けてばかりいるこちとらは、いまだに「おい悪魔」と自らを呼びつづけねばならない。
おい悪魔―なかなか守るにむつかしい教訓ではあるが、せいぜい努力してみよう。
『不可能を欲する人間を私は愛する』、これはゲーテのことばである。
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