自分をハゲます記 [「ヘルシーエッセイ」再録]
「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。
ヘルシーエッセイ(18)
自分をハゲます記
このごろ、「ハゲに効く」という育毛剤がずいぶんよく売れているそうだ。
これが10年も前だったら小生も早速薬局へ飛んでいっただろうが、いまやなにをしても手遅れ、とサトってしまったので、「不老林」や「紫電改」あるいは「グローリッチ」とかの話を聞いても、全く、心が動かない。(それにしてはそういう育毛剤の名をよく憶えているものだと自分でも思うが・・・)
ものの本によれば、紀元前1100年のエジプトにもやはり頭髪の過疎化を憂える男たちが多く、カツラが流行したが、同時にライオン、カバ、ワニ、ガチョウ、ヘビ、ヤギの脂肪を同量ずつ混ぜた毛生え薬もつくられたという。
一方、紀元前430年ごろ、ギリシャの女性の間には、局部脱毛の習慣があり、ヒソと石灰を混ぜてペースト状にした脱毛剤が発明された。このほうは、ライオン、カバ、ワに…にくらべると、だいぶえたいもハッキリしているようで、ギリシャ婦人の人気を集めたそうだから、効果もたしかだったのだろう。
それはまぁ、無から有を生じさせるのと、有なるものを無にしようというのでは、問題が本質的にちがう。
後者はたんに物理的あるいは実数的命題であるのに対して、前者はじつに哲学的あるいは虚数的命題であって、つまり脱毛剤の効果はすぐによくわかるが、発毛剤の効果はなかなかわかりにくい。
この点については、「不老林」その他も、古代エジプトの毛生え薬と五十歩百歩(このばあいは、五十本百本というべきか)だろうと思う。
とにかく、いまなおハゲに劇的に効く発毛剤はないのが事実で、ブームの育毛剤で「生えた」半数は、じつは円型脱毛症だったそうだ。円型脱毛症なら放っておいても時期がくれば必ず生えてくるのである。
メーカーの分析でも、ハゲてしまった人よりもこれからハゲる心配の人、いまある毛を守りたい人を対象にしたので育毛剤が売れているのだそうだ。われらはもはや育毛剤メーカーからも見放されてしまったらしいのだ。
しかし、こういったからとて、べつに私は自分のハゲをナゲき悲しんでなんかいるのではない。
私は先年、京都清水寺に大西良慶和上をお訪ねして、そのとき『良慶和上茶寿記念集』という立派なご著書をいただいた。
茶寿とは数え年の108歳のことであるが、その年の春にその年齢を迎えた和上の墨蹟、法話などを収めた自家出版のこの本の中に、次のようなことばが述べられてある。
「男の人はね、頭の毛がなくなって来ても、えらい禿げましたな、というても、そうですな、こんなになりましたというて頭をさわって笑うてすむけれど、女の人はそうはいかん。
髪の毛なんかがなくなってきたら、別の毛を乗せて一本一本大事にする。毛の一本でもおしがるのは女の方になる。男の人でも禿げてきたら一本一本スダレみたいに並べている人もあるけど、それは男の中に女の性分が働いている。
帰途の新幹線の車中でこのくだりを読み、しばらく笑いが止まらなかった。笑って、年来のナヤミが吹ッ切れた気がし、洗面所に行って姑息な“九:一分け”を以前の“七:三分け”に直してきたことを憶えている。あのころはまだそんなヒトマネのできる程度には残っていたのである。
秋が深み木の葉がしきりに落ちることに抜け落ちる髪の毛を、季語で木の葉髪というらしい。
木の葉髪 泣くがいやさに笑ひけり― とは、久保田万太郎の句である。
いま『日本文学全集』の一冊の口絵写真を見ると、なるほど、『大寺学校』の作者の頭髪の密度は、そのような感慨を催させるのにふさわしいものである。
「泣くがいやさにわら」った作家は、30年ほど前のある日、梅原龍三郎邸に招かれ、鮨の赤貝をのどに詰まらせて死んだ。
座敷から便所まで走って、そこで倒れたのだった。
「その場ですぐに吐き出せばいいのにあの人はお体裁屋だから・・・」と奥野信太郎氏がいっていた。
良慶和上のいう「男の中の女の性分」が久保田万太郎を死なせたといえるようだ。
ハゲを恥じるな。赤貝を食うときは気をつけよう。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。
ヘルシーエッセイ(18)
自分をハゲます記
このごろ、「ハゲに効く」という育毛剤がずいぶんよく売れているそうだ。
これが10年も前だったら小生も早速薬局へ飛んでいっただろうが、いまやなにをしても手遅れ、とサトってしまったので、「不老林」や「紫電改」あるいは「グローリッチ」とかの話を聞いても、全く、心が動かない。(それにしてはそういう育毛剤の名をよく憶えているものだと自分でも思うが・・・)
ものの本によれば、紀元前1100年のエジプトにもやはり頭髪の過疎化を憂える男たちが多く、カツラが流行したが、同時にライオン、カバ、ワニ、ガチョウ、ヘビ、ヤギの脂肪を同量ずつ混ぜた毛生え薬もつくられたという。
一方、紀元前430年ごろ、ギリシャの女性の間には、局部脱毛の習慣があり、ヒソと石灰を混ぜてペースト状にした脱毛剤が発明された。このほうは、ライオン、カバ、ワに…にくらべると、だいぶえたいもハッキリしているようで、ギリシャ婦人の人気を集めたそうだから、効果もたしかだったのだろう。
それはまぁ、無から有を生じさせるのと、有なるものを無にしようというのでは、問題が本質的にちがう。
後者はたんに物理的あるいは実数的命題であるのに対して、前者はじつに哲学的あるいは虚数的命題であって、つまり脱毛剤の効果はすぐによくわかるが、発毛剤の効果はなかなかわかりにくい。
この点については、「不老林」その他も、古代エジプトの毛生え薬と五十歩百歩(このばあいは、五十本百本というべきか)だろうと思う。
とにかく、いまなおハゲに劇的に効く発毛剤はないのが事実で、ブームの育毛剤で「生えた」半数は、じつは円型脱毛症だったそうだ。円型脱毛症なら放っておいても時期がくれば必ず生えてくるのである。
メーカーの分析でも、ハゲてしまった人よりもこれからハゲる心配の人、いまある毛を守りたい人を対象にしたので育毛剤が売れているのだそうだ。われらはもはや育毛剤メーカーからも見放されてしまったらしいのだ。
しかし、こういったからとて、べつに私は自分のハゲをナゲき悲しんでなんかいるのではない。
私は先年、京都清水寺に大西良慶和上をお訪ねして、そのとき『良慶和上茶寿記念集』という立派なご著書をいただいた。
茶寿とは数え年の108歳のことであるが、その年の春にその年齢を迎えた和上の墨蹟、法話などを収めた自家出版のこの本の中に、次のようなことばが述べられてある。
「男の人はね、頭の毛がなくなって来ても、えらい禿げましたな、というても、そうですな、こんなになりましたというて頭をさわって笑うてすむけれど、女の人はそうはいかん。
髪の毛なんかがなくなってきたら、別の毛を乗せて一本一本大事にする。毛の一本でもおしがるのは女の方になる。男の人でも禿げてきたら一本一本スダレみたいに並べている人もあるけど、それは男の中に女の性分が働いている。
帰途の新幹線の車中でこのくだりを読み、しばらく笑いが止まらなかった。笑って、年来のナヤミが吹ッ切れた気がし、洗面所に行って姑息な“九:一分け”を以前の“七:三分け”に直してきたことを憶えている。あのころはまだそんなヒトマネのできる程度には残っていたのである。
秋が深み木の葉がしきりに落ちることに抜け落ちる髪の毛を、季語で木の葉髪というらしい。
木の葉髪 泣くがいやさに笑ひけり― とは、久保田万太郎の句である。
いま『日本文学全集』の一冊の口絵写真を見ると、なるほど、『大寺学校』の作者の頭髪の密度は、そのような感慨を催させるのにふさわしいものである。
「泣くがいやさにわら」った作家は、30年ほど前のある日、梅原龍三郎邸に招かれ、鮨の赤貝をのどに詰まらせて死んだ。
座敷から便所まで走って、そこで倒れたのだった。
「その場ですぐに吐き出せばいいのにあの人はお体裁屋だから・・・」と奥野信太郎氏がいっていた。
良慶和上のいう「男の中の女の性分」が久保田万太郎を死なせたといえるようだ。
ハゲを恥じるな。赤貝を食うときは気をつけよう。
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