魚類の不幸 [医学・医療・雑感小文]
魚類の不幸
100年ほど前のアメリカの医学者(ハーバード大学の生理学教授)で、機知あふれるエッセイストとしても知られた、オリバー・ウェンデル・ホームズは、じつに徹底的な薬嫌いだったらしい。
「あらかたの薬を海に投げ込んでしまえば、人類にとってはこんな幸福はないが、魚類にとってはこんな不幸はないだろう」などと言っている。
わが貝原益軒先生も相当な薬不信論者だったようだ。
『養生訓』を開くと、
「病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して、身をそこなふべからず。
只、保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のおのずから癒るを待つべし。」
──病気のとき、いい医者が見つからなかったら、ヤブ医者の薬を飲んで、よけい体を悪くしてはいけない。
薬を飲まずに養生して、病気が自然に治るのを待つべきである、とか、
「薬はみな、偏性ある物なれば、その病に応ぜざれば、必ず毒となる。
この故に、一切の病にみだりに薬を服すべからず。
病の災いより薬の災い多し。」
──薬にはみんな偏った性質があり、その病気に合わないと必ず毒になる。
むやみに薬をのんではいけない。
病気の災いよりも薬の災いのほうが大きい。など、なかなか強硬だ。
非常によく効く薬が、どんどんつくられて、大いにその恩恵を得ている人がたくさんいる現代にあっても、本質的な事情は変わらない。
わかりきったことを言うが、毒にも薬にもならないようなモノは薬ではない。
のみ方しだいで薬になり、まかり間違えば毒にもなるのが薬である。
だいぶ以前の話になるが、肺がん治療薬「イレッサ」訴訟のときもそんなことを思った。
イレッサによって劇的に快癒した人もあれば、間質性肺炎で亡くなった人もある。
いちばん肝要なことは、効くのか、効かないのか、かえって危ないのではないか、その見きわめだろう。
薬を正しく上手に使う技術は良医の第一条件といえるだろう。
100年ほど前のアメリカの医学者(ハーバード大学の生理学教授)で、機知あふれるエッセイストとしても知られた、オリバー・ウェンデル・ホームズは、じつに徹底的な薬嫌いだったらしい。
「あらかたの薬を海に投げ込んでしまえば、人類にとってはこんな幸福はないが、魚類にとってはこんな不幸はないだろう」などと言っている。
わが貝原益軒先生も相当な薬不信論者だったようだ。
『養生訓』を開くと、
「病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して、身をそこなふべからず。
只、保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のおのずから癒るを待つべし。」
──病気のとき、いい医者が見つからなかったら、ヤブ医者の薬を飲んで、よけい体を悪くしてはいけない。
薬を飲まずに養生して、病気が自然に治るのを待つべきである、とか、
「薬はみな、偏性ある物なれば、その病に応ぜざれば、必ず毒となる。
この故に、一切の病にみだりに薬を服すべからず。
病の災いより薬の災い多し。」
──薬にはみんな偏った性質があり、その病気に合わないと必ず毒になる。
むやみに薬をのんではいけない。
病気の災いよりも薬の災いのほうが大きい。など、なかなか強硬だ。
非常によく効く薬が、どんどんつくられて、大いにその恩恵を得ている人がたくさんいる現代にあっても、本質的な事情は変わらない。
わかりきったことを言うが、毒にも薬にもならないようなモノは薬ではない。
のみ方しだいで薬になり、まかり間違えば毒にもなるのが薬である。
だいぶ以前の話になるが、肺がん治療薬「イレッサ」訴訟のときもそんなことを思った。
イレッサによって劇的に快癒した人もあれば、間質性肺炎で亡くなった人もある。
いちばん肝要なことは、効くのか、効かないのか、かえって危ないのではないか、その見きわめだろう。
薬を正しく上手に使う技術は良医の第一条件といえるだろう。
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