SSブログ

難聴の痛み [医学・医療・雑感小文]

難聴の痛み

3月3日が「耳の日」なのは、洋数字の3が耳の形に似ているのと、「三三」を「みみ」と読む語呂合わせだろう。

そう思っていたが、いま見た「年中行事」の本には、さらに、

「ヘレン・ケラーにサリバン女史が教育を始めた日であること。

耳や聴力について功績のあった、電話の発明者グラハム・ベルが生まれた日でもあるので定められたもの」とある。

1956(昭和31)年にはじまった。

人は、目と耳から情報・知識のほとんどすべてを得ている。

だが一般に、「聞こえること・聞こえなくなること」への関心は、「見えること・見えなくなること」に比べて薄く、難聴は他の障害に比べても正しく理解されにくい。

 ──と、聴覚障害の専門家、大沼直紀・東京大学先端科学技術研究センター客員教授は指摘している。

それは今に始まったことではなく、昔からそうだったと、教授が挙げた一つの例証は、「見る」「視る」「観る」「看る」など「目」を含む漢字は187もつくられているのに対して、「耳」のほうは「聞く」「聴く」などわずか13しかない。

「難聴それ自体には〝痛み〟はない。しかし、人との関わり、社会・環境との関わりにより〝痛み〟を伴うことになる。

その痛みは人や社会・環境との関係のあり方で軽減もし、逆に増強もする。

耳鼻科医、言語聴覚士など、〝聞こえの痛み〟を治す専門家に加えて、〝聞こえの痛み〟を和らげる人が、難聴者の周囲に増えることが大切です」と、大沼先生は話した。

「見えないことと、聞こえないことを比べるのは、なかなか難しいのですが、言語そして思考、情動といった精神活動には、聴覚は、おそらく視覚よりも密接に関係しているといえるでしょう」

 ──は、小川郁・慶応義塾大学医学部教授(耳鼻咽喉科)のことば。

目、耳、口の三重苦を負うていたヘレン・ケラーも、

「耳が聞こえないということは、目が見えないより重大だとは言わないまでも、より深刻で複雑だ。

かけがえのない刺激である人間の声──言語をもたらし思考のきっかけとなる声──が伝わって来ないからだ」

 ──と「自伝」に書いている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

年の速度耳の効用値 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。