SSブログ

銀舎利世代 [雑感小文]

 銀舎利世代

 秋の初めのころ、薩摩の米どころ伊佐の新米をもらった。

 当家は、小生のがん発覚以来、玄米めしになっているのだが、せっかくのご厚情を無にしてはいけないとの口実で、一夜、炊いて食べた。

 いやぁ、うまい! うまい! 感きわまった。

 米のご飯がこんなにうまいものだったとは!

 久しい以前からこの国ではご飯でおかずを食べる人がふえているらしい。

 白米の淡白な味は、おかずの濃い味をならすから、たくさんの総菜と総菜の間の口直しに適している。

 で、めしが副食になり、おかずが主食になったらしい。

 昔人間にはなにかそら恐ろしいゼイタクに思える。

 昔は、米のめしそのものが最上のごちそうだった。

『広辞苑』に「銀舎利(ぎんしゃり)」という項目がある。

「白米の飯。一九四〇年代、わが国の食糧不足の時代の語。」

 ああ、そうだった!

 あのころ、ときたま(本当にときたま)銀シャリにありつくと、心が歓喜に打ちふるえたものだった。

 あの喜びはわが記憶の倉の財産だ。

 飽食世代の知らない、銀舎利世代の幸せだと思う。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

半身浴起原 [雑感小文]

 半身浴起原

 ノーベル物理学賞の益川敏英博士が、「六つのクォークモデル」を思いついたのは、風呂の中だった。
 
湯につかりながら考えあぐね、「四つのクォーク」をあきらめようと立ち上がった瞬間、「六つならいける!」とひらめいた。

 博士は、時間を決めて行動するのが好きな人で、出勤は毎朝午前8時2分、風呂に入るのは午後9時36分と決めていると、新聞で読んだ。

 風呂から上がる時間は記されてないが、風呂の中で考えごとをするのだから、カラスの行水ではないだろう。

 半身浴の長風呂ではないだろうか。
 
ところで、この半身浴という語、今は誰でも知っていて、「広辞苑」第六版にも収録されたが、27年前にできた新語である。

 当時、「冷えとり健康法」を提唱していた進藤義晴医師の、「冷えをとるにはみぞおちから下をぬるい湯に長時間つけるのがよい」という入浴法(進藤医師は「腰湯」と表現)を、雑誌『壮快』1989年3月号で「万病に効く半身浴」と紹介したのが、このコトバが活字になった最初だ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

アンチvsサクセスフル [雑感小文]

 エイジング

 このごろはアンチ・エイジングとかいって、年をとるのが、なにか悪いことのように思われているようだ。
 
だが、生きているというのは年をとるということだ。

 それに逆らうのではなく、ゆっくり自然に年を重ねるスロー・エイジングを心がけたらよいのではないか。

 エイジング、なにも悪いばかりではない。ウイスキーやワインなどのエイジング(熟成)は良質の証明とされる。
 
かねがねそう思っていたところ、メディアミルクセミナーで、「サクセスフル・エイジング」という言葉を知った。

 講師の柴田博・桜美林大学大学院教授(老年学)によれば、この言葉には、①長生き、②高い生活の質、③高い社会貢献、が必要条件と考えられている。

 病気を賢く予防し、健康寿命を延ばすことで、自分の人生に満足する。

 そして社会に支えてもらうのではなく、ボランティア活動などで社会を支える側に回る。

「自分の健康を高めるための社会貢献。これからの健康観には③まで入れることが重要です」というお話だった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

身は医者に 心は神に  [雑感小文]

 女性化乳房

 緒方知三郎先生は、唾液(だえき)腺ホルモン剤「パロチン」の開発者としても知られ、趣味の手品は玄人はだしだった。

 70代で前立腺がんを発病、当時の定番的治療法だった女性ホルモン薬をずっと常用していた。

 先生のあと日本医大老人病研究所所長を継いだ金子仁先生から聞いた話。

「女性ホルモンを長く使っていると、女性化乳房といって、おっぱいがふくらんでくる。

 洒脱(しゃだつ)なお人柄だったので、よく冗談をおっしゃった。 おい、触らせてやろうか」

 当時(1960年代)、日本人の前立腺がんはごく少なく、治療法も現代とは格段の差があったはずだが、90歳という長寿を全うされ、80歳からの5年間で、ユニークな項目分類を行った『常用医語事典』(金原出版刊)の執筆・編さんを成し遂げた。

 人の名のついた病気や体の器官などを集めた「第Ⅲ部人名編」は、ページをめくっていてあきない。

「身は医者に 心は神に任すべし 智慧(ちえ)ありて 苦しむ者を 人という」

 緒方先生、晩年の一首だ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ハゲの六型 [雑感小文]

ハゲの六型

 男性型脱毛症は、男性ホルモンの影響で発症することがわかっている。

 男性ホルモンのテストステロンが分解されたDHT(ディハイドロテストステロン)というものが、毛髪細胞に作用し、毛の成長を抑える。

 そのため太い硬い毛(終毛または硬毛)が、先祖返りして赤ん坊のときの軟らかい毛(軟毛)に戻る。

 ハゲるのは主に前頭部から頭頂部にかけてで、側頭部と後頭部はハゲないのが普通だ。

 男性ホルモンに対する毛髪細胞の反応が違うためだ。

 ハゲの型を、

 ①総退却型

 ②てっぺんハゲのち雪だるま型

 ③知恵ハゲ型

 ④②と③の混合型

 ⑤法界坊型

 ⑥かっぱ型 

 ─の六つに分類した人は、ご自分もハゲていた緒方知三郎先生だ。

「おがた・ともさぶろう 病理学者。東大教授。唾液(だえき)腺内分泌、老化機構などを研究。共著『病理学総論』など。文化勲章。(一八八三─一九七三)」と「広辞苑」にはある。

 補足すると、江戸後期の蘭医、緒方洪庵の孫で、東大退官後は東京医大初代学長、日本医大老人病研究所初代所長を歴任された。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

政治家の頭髪 [雑感小文]

政治家の頭髪

 ①チビ②デブ③ハゲは男の外見の三ペケとされる。

 自慢じゃないが、当方は三つとも完備している。
 
 も一つおまけに④ガニマタだ。

 むろん初めからそうだったわけではない。

 20代では①と④だけだったが、30代後半までに②が完成し、40代で老眼が始まったころ③が加わった。

 秋、落葉の季節(木の葉髪という季語もある)にちなみ、③の話を─。

 一口にハゲといっても20種類以上もあるというが、最も一般的なのは円形脱毛症と男性型脱毛症だ。
 
 前者は病気で、後者は体質だ。

 普通、ハゲと呼ばれるのは後者のほうで、日本人男性の約30%にみられる。

 少数派だ─と書いて、気づいたのだが、政治家にはわれらの仲間がきわめて少ない。

 歴代総理の頭部を思い浮かべてみても、吉田茂と中曽根康弘ぐらいだ。

 これ、なにか理由があるのだろうか。このごろの政治がダメなのは、まさかそのせいではあるまいな。
     
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

銀嶺の果て [雑感小文]

銀嶺の果て


 誤嚥(ごえん)性肺炎で思い出す人がある。

 映画監督の谷口千吉さん。2007年の10月29日、亡くなった。95歳、誤嚥性肺炎だった。
 
生前、親しくお話を聞く機会があり、感銘を受けた。

 谷口さんは戦前、早稲田大を出て、PCL(東宝の前身)に入り15年間、助監督。

 3年間兵隊にとられ、戦後、『銀嶺(ぎんれい)の果て』で監督デビューした。

 「会社からはプロデューサーになれと言われたのです。

 ぼくはガッカリして、15年も助監督やったのにそれはあんまりだ。

 ほれ通した女なんだから1度くらいは思いをかなえさせてくださいヨ。
 
それじゃ1本撮らせてやる。1本だけだぞ。

 ええ、いいです。

ぼくは腹の中で1本撮って東宝をやめようと思って、そのことが結果的によかったんですね。


どうせ、これ1本だからってんで、思いきり全力投球で、やりたいようにやった。

 山が好きだから山のシャシンをやりたい。それに黒澤(明監督=谷口さんの親友だった)が非常に相談にのってくれて、シナリオができて、それが思いがけずヒットしたことで、会社もこれはいけるかもしれんなと思ったのですね。

 で、まぁ契約したわけです」

   

 谷口千吉監督の第一作『銀嶺の果て』(1947年)は、登山経験を生かした山岳アクションで、新人の三船敏郎を一躍スターダムに押し上げた。

「1本だけ…」の約束だったが、大当たりしたので正式契約。

「ジャコ万と鉄」(49年)、「暁の脱走」(50年)などヒット作を連発、「芸術の黒澤、娯楽の谷口」といわれた。

「ですからね、契約してもいつクビになるかわからない時期のものは、下手は下手なりにどこか土性骨が通っていたと思うんです。

 それが5年、6年たって映画監督という名が定着してくると、なにか器用に巧くまとめようとしてね、かえって駄作になっちゃった。

 現状に安住すると、人間、どこかゆるんでくるんじゃないですか。

 そこへいくと、黒澤(明)なんてね、撮り終わって5分もたてばもう後悔が始まって、それがどんどん増殖していくものなんだ、と。」

 一期一会。

 多くの人に会って、話を聞き、記事を書いてきたが、話の面白さ、魅力あふれる人柄…、最も忘れ得ぬ人の一人が谷口千吉さんだった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

鎮痛呪文 [雑感小文]

 鎮痛呪文 

三つか四つのころの思い出─。

手足を何かにぶつけていたがっていると、父が、

「キンジョーサイサイ、ネコ1匹の子、痛いところにイタチのクソを塗りつけたまえ」と唱えながらさすってくれた。

唱え終わって、ふーっと息を吹きかけられると、痛みが薄れるようだった。

亡父は、福岡県築上郡の出身で、いなか寺(浄土真宗本願寺派の末寺)の住職だったが、あのおかしなまじないは、どこの土俗だったのだろう。

キンジョーサイサイは「謹上再拝」の訛語だろう。

謹上再拝 ①神を拝むときにいう語。謡、蟻通「─、敬つて白す」②書状の末尾に添える語。と、『広辞苑』に─。

ネコ1匹の子、イタチのクソは、なんのこっちゃ?

この奇妙な呪文の由来をご存じのかたがおられたらご教示ください。

呪文といえば、昔はちょっとしたケガなら、「ツバキ、万病の薬」と唱えながら傷口にツバをつけたものらしい。

今でも小刀など使いそこねて、「痛ッ!」という瞬間、反射的にその指を口に持っていくが、一体、唾液は傷薬の代用品になるのか?

なるらしい。

唾液に含まれる微量の青酸と硫黄がくっついたロダン塩とかいうものや、リゾチームという酵素が、細菌をやっつける働きをするようなのだ。
nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

突き指余談 [雑感小文]

突き指余談

突き指は引っぱってはいけない。

重大な損傷がある場合はもちろんのこと、軽いねんざや打撲も引っぱってはいけない。

ねんざの大部分は靱帯(じんたい)がねじれたり、傷ついたりしたものだ。

引っぱれば靱帯はさらに傷んでしまう。もんだり、さすったりするのも感心しない。

突き指をしたら、冷たい水か氷を入れたビニール袋で冷やすのが一番だ。

そのほかのことは何もせず、安静にしておく。

軽いものなら間もなく痛みが消えるだろう。

痛みがいつまでも取れなかったり、腫れてきたり、指先が曲がったままだったりしたら、急いで整形外科の治療を受けなければいけない。

余談だが、『広辞苑』の編者、新村出博士はキャッチボールをやったことがなかったのではないか。

『広辞苑』第一版(昭和30年発行)には、「突き指」の項目がない。が、44年の第二版以降の各版には、

「突指 外力によって指先を突かれたために起る症状。指先と付近の関節の腫脹・疼痛・運動障害を伴う」とある。

『広辞苑』らしい生硬な語釈だ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

戦争と体格 [雑感小文]

 戦争と体格

「ぼくの身体が小さいのは、小学校五、六年から中一ぐらいまでのあいだに、生の牛乳を飲んだことがないからである」と作家、小林信彦氏が書いていた。

昭和7年生まれの作家の成長期は、戦中戦後の食糧難の時代と重なった。

良質のたんぱく質とカルシウムの摂取不足が、低身長の原因──という認識だろう。

体格のベースになるのは遺伝形質だが、栄養にも大きく支配される。

小林さんと同年のわれわれは、男も女も一体に小柄で、同窓会の会場でぽこっとへこんで見える一群は、わが級友たちだ。

育ち盛りに牛乳はおろか肉も卵もめったに拝めなかった結果が、それだ。

なかには長身の男もいるが、その彼も「おやじのほうが大きかった」と言う。

一般に父親よりも息子は背が高いのが普通だと思うが、そうではない者がわれわれには多い。

「戦中・戦後の粗食が、私の体に動脈硬化をつくらなかった」とは、われわれの親の世代に当たる日野原重明先生の言葉だが、おかげで子ども世代は成長が遅れた。

戦争後遺症の一種だろう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。